1月4日にすい臓がんにため、70歳でお亡くなりになった星野仙一さん。メディアで星野さんの死を悼むコメントが各方面から流れています。球界だけでなく、多くの方に愛されていた方なのだということが分かります。心からお悔やみ申し上げます。ぐすんぐすん

 

人生100年時代、70歳は若いです。本人もまだまだ生きることに可能性を見出していたと思います。

 

さて、星野仙一さんを思うとき、私は亡くなった父の事もちらっと脳裏をかすめました。

ドラフト会議で巨人に指名されず、中日の選手となってからは打倒巨人に燃えた星野さん。

 

昭和40年代から50年代。長島さん、王さんが全盛だった時代。夜は親父たちがお茶の間のTVを独占し、ナイター中継を観ていたものでした。野球野球テレビテレビ

 

私の父も同様に、仕事から帰ってくるとお風呂に入り、お風呂上りにビールを飲みながらナイター中継を観ていました。父もアンチ巨人。その理由が笑える笑い泣き 巨人軍の練習試合か何かを観に行ったとき、バックネット裏から川上監督にヤジを飛ばしたら怒られたムキーあせる だから、嫌いになった口笛というのです。

 

常に闘魂たくましく、闘う姿勢を見せていた星野仙一選手。監督になってからも凄かったですね。こちらはプロ野球珍プレー・好プレーによく出てくる乱闘はてなマークの場面。

 

最弱だった阪神タイガースを18年ぶりに優勝へ導いたり、東日本大震災の後、楽天イーグルスを2013年に優勝へ導き、被災者の方々に生きる勇気を与えて下さったのも星野監督でした。

 

しかし、強い男も本音を吐くときがあります。阪神タイガース優勝後のインタビューで「しんどかった」と言ったのは、奥様の死、そしてお母さまの死を乗り越えての優勝で、心身ともに辛かったのでしょうね。

 

う~ん、男は黙ってサッポロビール!?的なことを思い浮かべました。

 

昨年11月28日に都内で行われた「星野仙一氏野球殿堂入りを祝う会」が行われたこともあり、それに参加した方々にとって、生前の最後の場面になってしまった方も多いのでは。

でも、それはある意味の「生前葬」だったのかもしれません。勝手なことを言って申し訳ございません。すい臓癌であることを承知していた星野さんにとって、多くのお世話になった方々、お祝いを一緒にしてほしい方々に会える最後の会になると胸の中で思っていたかもしれません。

ご葬儀は、ご家族の方で密葬を行い、後日「お別れの会」が執り行われるとのことです。

 

色々な報道の中で、旧友、腹心の友の田淵幸一さんに送ったメールが紹介されていました。しんどかったのでしょう。1月末に食事会をする予定も入れていたようですから、まだまだ生きるとの希望を持って癌と戦っていたのですね。闘将ですから諦めない。汗汗ぐすんぐすん

腹心の友に送ったメール

 

人生100年時代  どう生きれば自分らしく生き、そして、逝けるのか。誰も教えてくれません。

 

20年、葬儀の仕事に携わり、常に終焉の在り方を考えてまいりました。死と向き合うのは容易いことではありませんが、死を受け入れる準備ができた時、次に周りの皆さんとのお別れを自分なりに考えるのも大切なことだと思います。