なぜ、私は葬儀司会をしているのか。この仕事が好きなのか。

あなたは、今までの人生の中で何回葬儀に参列していますかはてなマーク

 

思い出すのも辛いお身内の方、親しい友人の方を亡くし葬儀に参列された方もいらっしゃるでしょう。

また、取引先の社長が喪主で、そのご母堂様のご葬儀など、お亡くなりになった方には、生前一回もお会いしていなかったにも関わらず、義理で参列したご葬儀が直近の葬儀だった、という方もいるでしょう。

 

では、そのご葬儀の司会者、または司会者の声、故人様のプロフィールのナレーションなどを覚えている方はどれくらいいらっしゃいますか!?

よっぽどのことがない限り、覚えていないですよね。例えば、司会者が故人の名前を間違えた、とかビックリマーク

 

もともと葬儀司会に何の期待もなく、「葬儀社の従業員さんや組合さん(ご近所の自治会組織)が何となくやっているんじゃないの?」と思っている方がほとんどだと思います。

そんな存在も怪しい葬儀の黒子の仕事。しかし、平成に入り、葬儀が自宅から会館葬へと移行するに伴い、外注されるプロの葬儀司会者というお仕事が出来たのです。

 

葬儀のない地域はありません。私は、北関東の茨城県で葬儀司会をかれこれ20年近く行っております。田舎で、シングルマザーで、小さな会社を経営しながら今までやってこられたのは、葬儀司会の仕事をして来たからです。

 

葬祭ディレクター1級 星野幸子

しかし、私の人生、ジェットコースタージェットコースターのようで、登ったり下りたり、転んだのは7回では済みません。ジェットコースター

 

ざ~っと書いてみると、

留学挫折、広告代理店からなぜか不動産コンサルタントへ転職。そして、総量規制が始まりバブル崩壊。結婚への逃避。フリーランスの司会者を経て起業。

夫の市議選落選からの無職。東京へ勉強へ通う日々。別居、寄りを戻して妊娠、再び別居。離婚協議中の出産、それも自然分娩の予定が急きょ帝王切開。半年後に離婚。

レストラン事業へ進出したものの撤退、連帯保証人となっていた共同経営者の失踪。笑い泣き

子供が原因不明の熱で40日間の入院、その後、中学に入るまで3回の入院。匿名者からの誹謗中傷ファックスを取引先業者へ送付される嫌がらせ。ムキームキー

息子の小学校入学と同時に大学院入学、修了後、県議選出馬要請、そして落選。笑い泣き

認知症の父の介護。311の東日本大震災によるお墓、家の復旧を余儀なくされる。

息子の中学入学を機に、守谷市へ移り住み、アロマテラピーのサロンを出すも、こちらも2年半で撤退。

そして、訪問医療マッサージの仕事を県北の地で始める。

といった具合です。

その間に、資格もいろいろ取りました。宅建主任者、児童英語講師、ビジネスコーチ、パフォーマンスインストラクター、葬祭ディレクター1級、グリーフカウンセラー、産業カウンセラー、アロマテラピーインストラクター、アロマセラピストなどなど。1日や数日間で取れる小さな資格も色々あります。

 

私はどこへ向かっているのでしょう。

答えはお浄土です。天国と言ってもいいでしょう。

いえいえ、現世で生きていく目的です。

 

山あり谷ありの人生曲線は、徐々に徐々に上向きに上がっていって、終焉を迎えるときに「あ~、私の人生素晴らしかった。後悔は一つもない。みんな、ありがとう」と言って旅立てる人生を送ることです。私と同様に、そう思って旅立っていく人が一人でも多くあってほしい、と思っております。

 

しかし、宗教家でもないのに、人さまをお浄土に導くことはできません。

でも、例えば、田舎の一主婦が、自分の人生を価値あるものにする気付きを促すこと、自分の行く道を、欲しい答えを導くサポートをすることはできるはずです。

私のように、離婚してシングルマザーとなって、厳しい現実に立ち向かっていくとき、話に耳を傾け、その人の中にある答えを導き出すお手伝いはできます。

そんな思いから、44歳で大学院のキャリアデザイン学を専攻し、多種多様な女性の働き方、生き方に目を向け、サポートしていきたい、と思ったのです。そして、産業カウンセラーの資格も取得しました。

しかし、そのサポートはほとんどできていません。目の前にある日々を一生懸命生きるので精一杯な私がいます。

 

会社を設立して20年。ブライダル司会者、フリーアナウンサー、児童英語講師、司会者養成講師、企業、行政、医療・福祉分野の人材育成研修講師、レストランオーナー、アロマサロン(いつの間にかエステティックサロン)オーナー、パフォーマンスインストラクター、ビジネスコーチ、産業カウンセラー、グリーフカウンセラー、政治家の卵(孵化しなかったけど)、公の仕事としては教育委員も現職でしています。ボランティア活動ではロータリアンを12年。

何をしても、ベースにあるのは葬儀司会者だと、胸を張って言えます。なぜなら、生きていく上で大切なことは故人様が教えてくれたからです。

 

茨城県の片田舎で、シングルマザーとして一人息子を育てながら、日々、前向きに生きてこられたのは、葬儀司会の仕事があったからです。

自分では経験できない様々な市井の人の人生を、短い時間で垣間見ることが出来る仕事が私は性に合っていたのでしょう。

そして、亡くなってからできたご縁で、一度きりのその人の葬儀司会をさせて頂くことから、私は多くの事を学びました。

日常とは切り離された葬儀の現場で、私が学んだことは、もしかしたら、悩みながら生きている女性の役に立つかもしれない、そんな思いから、ブログを書いています。